玉三郎が、ヤマハホールを選んだわけは、越路吹雪が、このホールで、毎年コンサートを開いていたから。
70年代から、80年代まで、玉三郎は、ドラマチックコンサートを聴いていた。
越路吹雪を知るようになったかは、玉三郎が、21の時、過酷な舞台を、だだひたすら続けて、点滴を打って、体を持ちこたえていたときに、越路吹雪のシャンソンを聴いた。
ヨーロッパに遠征して、作った曲を。
海外に行ったこともない玉三郎は、歌を聴き、それを真似て歌った。想像の中で、ヨーロッパや、バリを旅する気分になっていた。越路吹雪を尊敬するのは、越路吹雪が、歌一筋に、歌うために、身体のコンディションを整え、舞台に出るときは、いつも、ものすごく緊張して、はじめての舞台に立つようで、いつも震えが止まらないと聞いたから。
そういう、舞台にかける、魂が、玉三郎と共通している。
コンサートは、暗い照明の中、越路吹雪の歌で始まった。
やがて玉三郎は、黒のシックなスーツに、マイクを持たない小指に、ダイヤの指輪をつけて。
バックの演奏も素晴らしかつた。特にピアノが。
玉三郎は、越路の歌をたくさん歌った、
シャンソンは、詩を語るようにいた歌うので、
玉三郎の、心を込めた歌は、専門家の歌い手には、旨さでは、及ばないけれど、玉三郎にしか歌えない素晴らしさがあって、夢のような時間が過ぎていった。
渡辺マリさんが、今日も来ていた。
この前も、歌舞伎座で見かけた。
ヤマハホールは、全部で300席の小さなホールの、一階席で。私は、11番目。まりさんは、六番目の、同じ端席で通路を挟んでいたので、乗っているのがよく見えた。
演奏者に委ねて、一旦舞台の袖に引っ込んだ玉三郎は、次に着替えて現れた。
テレビで見た衣装と同じ、キラキラするの黒のスーツ。
マイクを持つ手に、エメラルドとダイヤの指輪が光った。
片方の小指は外していた。
指くらいある大きなエメラルド。
海の好きな玉三郎は、エメラルドか好きなのだろう。
枯葉を歌った。
時折話を交えて、玉三郎の歌は、ときに激しく、時に、優しく語りかけるように続いた。
ピアフが、フジチヨウのように、再起して、力強く歌った、もう、後悔はしない。
あまりしられていないけれど、
玉三郎が大好きな曲だと言った歌ってくれた。
私も、一番好きかもしれない歌。
越路の歌った日本語で。
もういいの、私はもう後悔しない、と。
素晴らしかった。
幸せで、幸せで、叫び出したいくらい、私は幸せだった。
小さな声で、フランス語のリアンで歌った。
終わってほしくないという思いだけ。
本当にたくさん歌ってくれた。
アンーコールに、玉三郎はまた、着替えて。照れ臭そうな可愛い表情。
金色のカーディガン風の上着。
素敵、玉三郎だから、よく似合う。
アンコールは、愛の讃歌。
キーがあわなくて、玉三郎も、観客も笑いが響く。
観客は惜しみなく拍手でアンコールを要求する。
玉三郎は再び出てきて、もう歌は用意していないので、と。トークで締めくくり。
越路吹雪と、ドラマチックコンサートで、今夜の玉三郎と同じように、キーが合わなかつた。とか。
何か越路吹雪がそうしていうのかも、という話。
疲れているように見えた。
一時間半の、休みなしのコンサート。
終わって、ロビーで、玉三郎のビデオ付きの、高い方のCDを買った。
渡辺まりさんも、玉三郎の歌った、曲の紙を取りに来ている。一人一枚にお願いします、と書いている。
関係者の人が、渡辺さんを見つけて、玉三郎に会いますか?と言っている。
え、会えるのですか?とまりさん。
階段を下りるときも、私の前にいたので、花柄のリュックサックを背負い、アップリケのついたコートを着て、ズボンに、ナイキのスニーカー、頭は後ろにお団子作って、何かつけてる、派手でラフなスタイル。
だけど、目が鋭かつた。
ヤマハホールの裏側に、駐車場があって、関係者の出口がある。
大きな車が停まっていて、貸切になつている。玉三郎が乗る車かもと、写真を撮っていたら、運転手がやってきた。
なんで写真撮ってるの?
玉三郎が乗るのかなと思って。
いや、これは別の客の貸切ですよ。
そうですか。じゃ消します。
しばらく出てこないかと待ってたけど、
あれだけ、玉三郎を見続けてたのだからと諦めてホテルに帰った。
歌いながら帰った。
節約。
セブンイレブンで、ワインとサラダを買った。
しめて700円。
ホテルで、余韻のぬけないままに、一人で乾杯。
リアン、リアン、ド、リアン。ジユ、ヌ、リグレット、リアン。
頭の怪我を気にしながら、顔を洗って、シャワーだけ浴びて、歌いながら、ベッドに。
翌朝、朝食に行くと、ワイン2杯ついて、おつまみついて、1000円のメニューがあることを知った。
あ、これにしたらよかった。
何の後悔しない。決して後悔しない、と歌っているのに、ワイン2杯ついて、に後悔している。
今度は、これに決めた。